昭和44年06月11日 朝の御理解



 御理解 第16節
 「無常の風は時を嫌わぬというが、金光大神の道は、無常の風が時を嫌うぞ。」

 金光大神の道は無常の風が時を嫌うぞと。素晴らしい道だと。金光大神の道は素晴らしい道だというのは、ここのところに尽きるという思いが致しますね。人間無常の風が吹いて来れば、どんなに知者でも徳者でもどんなに権力金ある力ね、金力とでも申しましょうか。どういう力を持っておっても、無常の風に誘われなければならん。だから常日頃手厚く信心をさせて貰うておかなければならんというのが、まぁ仏教の教えでしょうね。何時お迎えがあるのやら分からんのだから。
 、無常の風が何時吹いてくるか分からんのだから、と言う訳なんです。ところが金光大神の道は、その無常の風が吹いてきておっても、そういう運命のもとに合っても、無常の風が吹いてきておっても、その風をですあぁそれを右に左に、または反対に吹きやってしまう事も出来るぞと言う様な意味ですよね。金光大神の道は、無常の風が時を嫌うぞ。時を嫌うと嫌わんではなく時を嫌う。
 昨日もうお祭りが始まろうとする、一時間ぐらい前でした。椛目の私の小学校の時の友達で、国武さんという方がおります。その方が高畑という善導寺の高畑というところに、縁についておられますが、姉さんがここの立石さんですかね、直ぐそこん所の村に嫁入って来とられますから、あちらがこちらへずっとお参りになります。それであのう一度もう一遍長うお参りしてみたいというので。
 そして昨日見えてからほんなら、どうでんこうでんいっちょ御本部参拝にも、今度一緒にかてて頂こうと言うて、申込用紙を頂いて帰られましたんですけれども、私が裏であのちょうどお食事が終わっているとこでございましたから、あのちょうど、泉水の前におりましたら見えましたから、あそこでお茶でも上げさせて貰うて、あそこの私の部屋の後ろの南側のほうの庭は、蘇鉄ばっかりで庭が出来ております。であの立石さん達が二人で立石さんたちが二人で参ってきますから、二人のいわゆる蘇鉄屋さんです。
 ですから二人の方達がお供えされた、もうあの自分達のお供えさせて頂いておるあの蘇鉄が、どげなふうにしてあるじゃろかち言うてから、今日初めてそのそれを見たかったらしいんです。それが大体は二人で話し合ってその、そのまま玄関にこうやって植えてもらいたかった訳なんですね。ところがもうどこに植えてあるじゃら分からんですから、聞いたら、裏の方に植えてあるというから、よっぽど何かこういらんもんばしのごつしてあるとじゃなかじゃろかと、こう思うてあったらしいですよ。
 ところがちょうど先生のお部屋の後ろの、先生が朝晩見て頂くところにその、植えていただいとるけん有難たかったというて、いう意味の事を言われるから、実はねこれには言われがあるとですよと言うて、まぁ私が話をさせて頂いた。そのいわれを話したんです。でまぁ非常に感動してですね、そういう意味があったのですかと言う訳でした。私が四歳の時疫痢を患っております。草野の池尻病院に入院してもう、お医者さんもいよいよ難しかと言う。家のもんも半ば諦めてしまっておる。
 初代の善導寺の荒巻先生のお取次ぎを頂いてから、もういよいよ難しかろうごたる時に、先生がそれを仰っておられますですね。大坪さんどういうことがあっても、まぁ言うなら驚いてはならんと仰るからね。神様のご都合じゃろうからと言うてその、まぁ引導を渡しちゃる。それでもやはり一生懸命まぁその縋らずにおられんのが親の心でございましょうけれども、私の隣の叔母達が非常に熱心に信心をさせて頂いておりましたから、叔母それから母、もう皆んなでですね、そのう草野から善導寺まで。
 ずうっとこうリレー式でお参りして帰って来たら、また直ぐお参りをする。と言う様なそのお参りでしたですね。昔はあんなお百度参りを踏むとか、そういういよいよの時にゃお参りをされたもんです。その時にです一生懸命にお参りをさせて貰う、そういう時にその初代の荒巻先生の御心眼に映じたのは、いっぱい蘇鉄のこう葉がしこっているのがね、全部枯れてしもうたお知らせを頂かれたんです。そりゃ後での話しなんですよね。だからもういよいよ難しいということ。
 もう枯れる寿命だということだったんです。それでまぁ一生懸命にまぁお参りをして、おすがりをして、お取次ぎを願わせて頂いて、それがそういう信心が続けられておる、あるお参りのときにです。御祈念都度都度に御祈念をして下さるのですね。御祈念をして下さってから、あの母がちょうどお参りさせて頂いた。大坪さん。こら一生懸命お縋りすりゃ助かるばいち。もういよいよ新たな命を頂くようにその仰った。一生懸命お縋りすりゃ助かるて。実はね先日前に頂いたのはもう難しいと。
 いわばその勢いのある蘇鉄が、生き生きとしているのが全部枯れてしもうたお知らせを頂いたから、こらもういよいよ難しいと私も思うたけれども、あんた達が一生懸命お参りをして来るその一瞬がです、一生懸命がですこらない命を頂くよと。尚一心に信心を続けなさいと言うて、言われてから段々おかげを頂いて参りましたんですよね。もうとにかく疫痢の事ですから全然何にも与えられない。食べ物も与えられないまぁ大胆な事ですよね。そのあまりにも痩せ細ってその死んだ者の様にしておるもんですからね。
 隣の叔母が御神飯をですね、お供えしておるのを一つお粥のようにしてから食べさせたんです。それから少し元気が出て来たんですね。それからあくる日は二つ。そのあくる日は三つと言う風にしてから、日にひとつづつ御神飯を増やしていったと言う事です。もう絶対飲ましても食べさせてもいけないという、その病人にですねもう叔母がですね、その御神飯をお粥にして持って来てくれると、もう私がこうやって拝みよるね。もちろんお医者さんにゃ内緒ですよね。
 そしてそれがとうとうその、おかげを頂いて今日に至っているわけなんです。もう運命の言うてもですもうない寿命であった。そのない寿命のものが、親の一心で助かった。それでもう私のあの婆々なんかは人と話すときにね。あの生まれて六十日目にいわば大火傷で焼け死にでもしなければならんのが助かり、四つの時にはもうない命がそういう風で助かり、もうこの人ばっかりはもう金光様の御恩どん忘れよると罰かぶるち言うてから、その、人に話すとにそげん言いよりました。
 そりけん私はもう本当に、私は金光様の御恩ば忘れたら罰かぶると、子供の時からやっぱり思い込んでるんですよね。だからこの金光様のおかげを頂かなければ、自分は成功も出来ん立ち行きも出来んというそういう思いが、一生懸命強う私の心の中に植えつけられておる。これなんかは無常の風が時を嫌わんではなく、時を嫌うた訳です。ところがです、もう無常の風が時を嫌わんと仰る。言うならば又はそういう、無常の風に時を嫌わすことの出来る程しの、神様でおありになりながらです。
 これ程一心に縋っておる、これほどお願いをさせて頂いておるから、助けてやらなければなるまいという、例えば働きがですネここでは必ずしも生死ということではないと。神様この神様という神様は、そんな小さな神様じゃないという事実をです、これは私の弟の事に例をとると、一番良く分かると思うんです。終戦の年のあれは八月十五日が終戦日ですから、その七月の三十日丁度終戦になる十五日前に戦死を致しております。もうそれこそ家族中のものが、それこそ無事帰って来る事をそれだけを。
 ちょうど現役からずうっとですから、七年か八年か行っとったですね。それで毎日引き揚げの船が日本に着く。それを見るのが毎日親達は楽しみで、そのもう今度の船じゃろ今度の船じゃろというて、待っておるところへ着いたのは公報であった。もう本当に目も当てられぬと言うのはそれである。華々しい例えばあの戦死といやぁ、それこそ沢山の人から拝まれたり讃えられたりするという時代じゃなくてもう、終戦になってしもうてから、じゃない終戦をあと十五日。
 天地の親神様無常の風は、時を嫌わずぞと仰る神様が、どう言う訳でもう十五日ぐらいの寿命、命というものをどうかならなかったですかと。まぁ言いたいところだ。もう十五日ぐらいどうとかならなかったですか。もう十五日お生かしのおかげを頂いておれば、無事内地に帰る事が出来たのに、神様殺して下さいと頼んじゃおりませんというて、母なんかはお社をごうぐってから、神様に泣きながらいわばぐぜったです。ぐぜったてん意味が分からんかもしれません。
 けれどもいわゆるそれはどうにも出来ない事実だったのですから、仕方がない事でございましたが。今日になってみて思わせて頂く事でございます。なるほどこれ程に縋っておるのであるから、十五日二十日そこんところを延ばして下さる。けれどももし私の方の弟が無事に帰還をし、帰ってきておったら現在の合楽は開けておりませんでしょう。そういう風に思います時にです例えば、ほんならある命であっても助けられる命であってもです。神様のご都合というかね、いうならば真実の愛とでも言おうかね。
 神愛とでも言おうか。というものはです、どうにも出来んというのではなくてです、例えば無常の風は時を嫌わんと、又は時を嫌わすとこう仰るのです。この時を嫌わすということは、例えばある寿命であってもです、神様のご都合であれば、それをお引き上げになる事が出来るということである。私の弟の場合なんかはまさしくそうであっただろうと今にして思うのです。例えば四神様でもそうでした。二代金光様。四十という若さでお国替えになられました。まぁだご長男の三代金光様が十四歳。
 まぁだ高等小学校にお通いになっておられた。その高等小学校を中途で退学して、お父君四神金光様の御後をお受けになられた。どんなに考えてもです。あれだけのいわば大徳を受けられながらどうしてと思うのです。この神様はしらごつ言いなさるとじゃなかじゃろかと思うごとあるです。それこそ無常の風に時を嫌わす事の出来られる神様がです。その当時、時にせめて三代金光様がですね、いわば今で言うなら成年式ぐらい終えられたり、奥様でも迎えられたりしてからでなら。みんなが合点がいくんですけれども。
 ではない事になった。けれども亡くなられたその後に、十四の歳から八十四歳、いわゆる七十年間というぐらい長い生涯をかけてのです、ご神勤。もう後にも先にもどういう素晴らしい宗教家が、そのあったと言うてもです、七十年間を神前奉仕で終わられるなんて、まぁだ見た事も聞いた事もなかろうと言う程しの、偉大な宗教家がお出来になられた訳なんです。お父様四神様はいわば摂胤様のために、三代様のために神様は二代金光様をお引き上げ、お引取りになられたということが言えます。
 ですから金光様のご信心はです、ない命でも助けてもらえれるんだということだけではなくてです。場合によれば信心をしておるからわざわざです、まだ十年でも二十年でも寿命があるものを、却って引き揚げて下さって次のおかげ。もうこれは掛け替えのないおかげにして下さる事のために、それが出来られるという事実は沢山あるのですよ。そこを私は思うんです。なるほど又それと今私のその四歳の時に、ない命を助けて頂いたというのは、確かに無常の風に時を嫌わせてござる程しの御神徳によって。
 初代の親先生のお取次ぎによって、親の一心によって助かった。そういう働きもお出来になると同時に、それよりももっともっと深い、大きい親心神心を持ってです、例えば私の弟を神様はお引き上げになられた。それはこういう道を開いてやるために、一人二人の事じゃあない、沢山の人が助かる事の為にであった。はぁもう大作と言いよりましたが、大作さんが一番気の毒な、若いまぁだ三十になるかならんでその亡くなられた。言うなら渡る川も渡らんなりに亡くなられた。
 ならそこでそんなら御霊が、はぁ自分が一番馬鹿らしかったと言うておるかというと、そうではなくてです。自分の死んだ自分が戦死したということが、このような大変なおかげになっていっておるという事をです、分からせられる時にそこに私は御霊の弟の魂の助かりがある。あの時はもうそれこそ一家中のものが目の前が真っ暗になるようにあったけれども、そのおかげで今日この様なおかげを頂いておる、両親もこうして元気でおかげを頂いておる。それを中心に沢山の人が助かっておると。
 例えば御霊様にお礼を申し上げるときに、私は御霊の喜びをそこに感じるのですよ。私は今日ここの無常の風が時を嫌うぞということは、時を嫌わすと仰る事はね。命を助けて頂くということもあるけれども、それとは反対にある命でも神様のご都合とあればです、それをお引き上げになる事も、お出来になりそこから言うならばご自身も助かられたい訳なんですね。言うなら沢山な難儀な氏子が助かる事のためにもです、なさるとにそれを神様のご都合と皆が呼んでおります。
 様々な問題難儀な問題、どの問題に直面致しましてもです、まぁ死という事になれば、人間最大のいわば難儀と思います。またこの様な悲しいことはないと思います。けれどもその最大のその悲しみですらがです、神様のご都合なのだと。どういう御都合かと言うと、その悲しい苦しいことよりも、もっともっとその引き当てになるおかげというものの偉大である事。そういう場合に神様のご都合というのですよ。泥棒に物を取られた。はぁ神様のご都合でしょうち。
 だからそういう簡単な事で、神様のご都合言うとっちゃいかん。本当にこういうおかげを下さる事のための、神様のご都合であったという、おかげを受けなければいけんのである。そうでしょうが。例えていうなら百万円を盗られたけれども、けれども百万円盗られたおかげで、それが一千万円になったと言う様なおかげを頂いてこそ、初めて神様のご都合、神様のご都合というのはね。もう氏子かわゆいという一念以外にないです、神様のご都合というのは。おかげをやりたいからのご都合に他ないのですよ。
 そこでここでお互い分からせて頂かなければならん事はです、なら神様のご都合じゃろうと思いますというのじゃなくてです、その例えば難儀なら難儀、例えば近親の者の死と言った様な事は、どのように悲しい事はないけれどもです、その死が生きて来る。その難儀が生きて来る。その難儀のおかげでです、こう言うものを頂いた、こういうおかげを受けたという事に、なるためのご都合であるという事。そこで私共が難と感じる、即その場でです神様のご都合だという事はです。
 神様のご都合という事は、愛の即現われとしてです、それを悲しい又は苦しいけれどもです、それを神様のご都合として、有り難く受けるというところにあるのですよ。それが神様のご都合だから、例えば有り難くはなれないに致しましてもです、神様のご都合だから、有り難くならせて頂くために、一段とそこから生き生きとした信心が求められるところなのです。またそれに応えていかなければいけんのです。だから四神様は難あって喜べと、教祖様は難はみかげだとこう仰ってある。
 難はみかげだと。そこで例えていうとです、その難というものは金光様のご信心を頂いておれば、難と言う言葉もないぐらいなものだと本当言うたら。そのままがおかげであり、そのままが神愛なのだとという頂き方。此の方の道は喜びで開けた道じゃから、喜びでは苦労はさせんと仰る。そのような例えば悲しいとか難儀に直面いたしましてもです。それを喜びで受けさせて頂けれるための信心。それを元気で受けきらせて頂こうとする信心の姿勢というものをです、私共失うてはならん事が分かる。
 その一番な最大なもの、それは人間のやはり死である。これほどお縋りさせて頂いておるのに死んでしもうたと。神様も当てにはならんと言うてです、信心をしなかったらやはりそれは、悲しみであり難儀である。けれどもそれをですね。有りがたしと受けて立たせてもらう。あり難しと受けられんに致しましてもです、そこんところを元気な心でです、私共の例えば場合でも弟の戦死という事を、私が御本部に月参りをさして頂いたのは、弟の公報を聞かせて頂いたその月からでした。
 経済の面でもいろんな意味で大変難しい時でしたけれども、私が月参りを始めたのは、弟の戦死の公報を受けたその月からです。そこにですなるほど神様がお引き上げになった神様が、例えばある寿命でもこの様なおかげの事のためにです、引き上げられたんだと言う様にです、それを生かして行けれるおかげが、そこから展開して来ておる訳ですよね。これだけお縋りしたのに、もう神も仏もあるものか、言うておったらです、どのような事になっておったか分からない。それはやはり難である。
 それは悲しみである。そしてその悲しみがいつの間にかお縋りで忘れられていってしまうようなもの。悲しみそのものは悲しみであっても、そこから一段と信心が出来るところからね悲しみではなくて喜び。お前やらのおかげで、あのいわばあんたの戦死がです、こういう大変なおかげの元になったんだという事になる時にです、それが御霊に対するお礼になって来ておる。四神様と三代金光様の場合でも同じ事。お父様が早死にでおありになったおかげでです。
 それこそ前代未聞である七十年間という間を神勤、御神勤御神前奉仕をなさる事が、そういう事をまぁ成就される事の出来れるきっかけを作られた。そしてもうそれこそ永遠にです、そういう信心の光というものは、失われる事のない程しのです、これは取次ぎを願う者、取次ぎをさせて頂く者の、いわば永遠の信心のひとつの手本としてです。それを仰ぎ拝ましてもらう言が出来る程しのものを、そういう体得を樹立された。打ち立てられたという事になるでしょうが。
 合楽がこれからいよいよおかげを頂いていく事になって行けば行く程にです、その目に見えない御霊の働きというかね。私の弟の戦死と言うものがね、どの様に輝きをもって来るか分からんのです。そういうためにはです、例えば神様が無常の風には、時を嫌わんということでもなからなければ、時を嫌わすと時を嫌うぞと、無常の風が時を嫌うぞと仰るが、その無常の風とも思われるような風をです、いつなん時でも起こしなさる事の出来れる神様だということ。
 しかもそこには、神様のひとつの思惑がある。それは氏子より助けたし、より大きなおかげを頂かせたいという願いの他ないのでございますから、いわゆる神愛より他ないのでございますから、私共がどういう例えば、最大のこれが難儀だと言う様な事に直面致しましてもです、それを神様のご都合として本当の意味においてのですよ、ご都合として受けられる信心を頂いておかねばならんということが分かりますですね。
   どうぞ。